CDの作り手と聴き手の間

ベートーベンは、なぜ耳が聞こえなくても作曲できたのか

ベートーベンは病から耳が聞こえなくなっても、音楽を作り続けた。なぜそんなことができたのだろう。

作曲家と結婚した私が、ある日こっそりのぞき見た光景は、そんな疑問を簡単に解決してくれた。

 

 

深夜、私はそっと階段を降りる。

床がきしんで音がしないように注意を払う。体重をほんのすこしづつ移動させて廊下を進む。気配を消しながら、息を潜めてドアの前に立つ。

作曲部屋と呼ばれるその部屋の中からは、ほとんど物音がしない。

夫がそこに籠って、もう半日はたつだろうか。

椅子を引く音がする。鉛筆か何かを、コツンと置く様子がわかる。そのほかには、何の音も漏れてこない。

私は息を殺して、そっとドアノブに手をかける。1ミリずつバーを降ろし、やっとできた隙間から部屋の中を覗き見る。握られた鉛筆が五線紙の上を進む。紙が擦れる音だけが部屋を埋めていく。

夫の頭の中ではきっと、フルオーケストラが鳴っている。

静寂と、頭の中の音。

時間は彼と新しい音楽のためだけに流れる。

これが、「曲を書く」ということだ。

 

ベートーベンが聴力を失った後でも、いや、それ以前にも増して精力的に作品を生み出し、あの第9の歓喜の歌を作り上げたと知った時、子供だった私は、その超人的な才能に驚愕した。

なぜそんなことができたのか。耳が聞こえないことは、作曲に影響しないのだろうか。

いや、それはきっと、ベートーベンだからこそに違いない。

ほかの作曲家はきっと、頭をかきむしりながら、ピアノを弾き鳴らして、音を聞きながら曲を作っているのではないか。

作曲という行為自体が、私の理解の範疇を超えていて、想像できるのはこの程度だった。

 

 

ねえ、耳が聞こえなくなっても、作曲はできると思う?

夫と一緒に暮らすようになって、ずっと気になっていたことを、ある日思い切って口にした。

 

できると思うよ。

ことも無げに夫は、シンプルに答えた。

 

そうだよね。あなたを見てたらそうだと思ってた。

 

五線紙にコリコリと鉛筆で音符を書いていくか、Macの画面にポチポチと音符を打っていくか。

文字通り「曲を書く」という夫の姿を目の当たりにした時、まさにベートーベンが行っていたのはこれなのかと納得できた。

耳が聞こえていても、楽器をかき鳴らして作曲をするわけではなかったのだ。音は頭の中で演奏され、楽譜の上に符合として表されるだけだった。

曲のイメージが浮かび、その時すでにハーモニーになっている。そしてそれを五線紙に書き記していく。

頭の中には無数の音のサンプルがあり、どの楽器とどの楽器で、どの和音を出すとどんな響きになるのか、それはすでにわかっているらしい。

積み重ねた音の経験と記憶があり、それを助けるための、楽譜に記す技術と和声の方法論を身につけている。記憶の中の音を探り、セオリーに従って、あるいは敢えて相反して、自分の音を重ねていく。

耳が聞こえなくなっても、きっと夫は同じように、こうして曲を書くのだろう。それは容易に想像できた。

 

でもね、と夫は続けた。

耳が聞こえなくなったら、その時持っている音の感覚以上のものは作れないんだよ。

聞こえなくなってしまったら、聞こえていた時の自分を超えることができないんだ。

ベートーベンがあのまま耳が聞こえていたら、違うサウンドを作ったかもしれないね。

 

私は想像する。

更新されないデータと、アーカイブ。

ベートーベンが苦しんだことは想像できるけれど、やはり私には遠い存在だ。

たとえ目の前に、静寂の中で曲を作る人がいても。

 

耳が聞こえなくなっても、作曲ができたからベートーベンはまだ良かったのかな。

 

そういう私を一瞥して、夫は首を振った。

耳が聞こえなくなって一番辛いのは、自分の書いた曲を他の誰かが演奏してくれた時に、それを聞くことができないことだよ。

夫は静かに冷静に答えた。悲しげな表情で言わないからこそ、その言葉に力強さと真実があった。澄んだ泉のような心の奥が見えたような気がした。

 

そうなんだ。そっちのほうが辛いんだね。

 

 

完璧な演奏は楽譜の上にしかない、と言った指揮者が誰だったのかは忘れてしまったけれど、例えそれがどんな演奏であろうと、自分の曲を演奏してもらえることが作曲家の喜びなのだろう。

 

聴力を失ったベートーベンは、もう二度と自分の曲がどう演奏されたのかもわからない。それでもその現実を乗り越え、多くの楽曲を世に残した。

 

書くことをやめられなかったのだと思うよ。

音楽は、演奏してもらうことで初めて完成する芸術だから。

 

静かに夫はそう言ってまた、作曲部屋へ戻っていった。

 

 

曲を書く。そしてそれを託す。

ベートーベンは書き続けた。誰かに演奏されることを信じて。

 

一人の力だけでは完成しない芸術がここにある。

 

音楽は今日も静かに生まれ、そして誰かに託されていくのだ。

 

 

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渋谷ゆう子

作曲家・渋谷牧人のレーベル「Nomius Nomos」マネージングディレクター。アルバム制作や演奏会企画運営を手がける。プロアマを問わず演奏家とのつながりが深く、自主制作アルバムの支援も行っている。ワルター/ウィーンフィル/マーラー9番/1938年がお気に入り。3児の母。

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