ショスタコーヴィッチという作曲家の名前を聞いたことのある方は、どれくらいいらっしゃるでしょう。
クラシック音楽に興味がなければ、もしかして一生この名前に触れることはないかもしれません。
しかしどうやら、この作曲家ショスタコーヴィッチはクラシック音楽に興味を持つ人の鍵を握っているようです。
この連載を始めるにあたって、私はクラシック音楽についての関心を調べるため、あるレポートを見ました。
それはグーグルのキーワード検索数などの結果一覧です。
クラシック音楽やその周辺のワードに関して、日本語でどんな言葉が多く検索されているか、どんなことに人々が関心を持っているのかを知りたかったのです。
「クラシック音楽 おすすめ」「クラシック コンサート」など、予想できるような検索キーワードはもちろん上位に。クラシックを聞きたいな、コンサートに行きたいなと思われる方が、こうして検索しているのだとわかります。
反対に「クラシック音楽 作曲家 日本人」というのはほとんど検索されていません。興味がないんですね。寂しいです。
その中で燦然と輝く作曲家検索ワードはなんと、「ショスタコーヴィッチ」です。
「クラシック音楽」という単語と一緒に検索されるのは、モーツァルトでもベートーベンでもなく、ショスタコーヴィッチが第2位だったのです。
(ちなみに、ショスタコーヴィッチを上回る第1位は、「yoshiki」よしきです。X JAPANの。)
この結果に、私はとても驚き、そしてそれ以来ずっと考えていました。
バッハでもベートーベンでもなく、なぜ人はショスタコーヴィッチを調べたがるのかと。
ショスタコーヴィッチって誰?
ドミートリィ・ショスタコーヴィッチは1906年に当時のロシア帝国時代の首都サンクトペテルブルグに生まれました。ソビエト連邦時代に作曲家として大成し、亡くなったのは1975年、私が生まれた頃はまだ存命で、国は違えど同じ時代の空気を吸っていた時期があったかと思うと、感慨深いものがあります。
特に評価が高いのは15番まである交響曲、そして弦楽四重奏曲と言われています。
また映画音楽やバレエ、劇付随など多くの優れた楽曲を残しました。
ソビエト連邦時代の社会体制と世界情勢に、その作品解釈も左右された作曲家と言われています。
なぜ有名な作曲家は検索されにくいのか
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ショパン、チャイコフスキー、シューベルト、リスト、ドボルジャーク、ドビュッシーなど。
小学校中学校の音楽の教科書にでてきて、クラシック音楽に興味がなくても名前くらいは知っている。なんなら代表曲も知っている。
このような超メジャー作曲家を、ここで仮に「一軍作曲家」としましょう。
この一軍に関しては、そもそも「この人だれ?」という興味が湧きづらいのかもしれません。”だれもがそこそこ知っている”作曲家です。音楽室に肖像画も貼っていたりします。
だからこそ、すでに曲のタイトルなども知っていて、いちいち「クラシック音楽 モーツァルト」などどと検索する必要がないのでしょう。
調べたいときは、ダイレクトに「モーツァルト レクイエム」などと調べているようです。
検索ワードが分散されているので、作曲家の名前だけが上位にこないとも考えられます。
二軍作曲家ラインナップを考えてみた
音楽の授業で作品を聴いたことがある作曲家などの一軍の次はどうなるでしょうか。
ピアノを習っていたり、またはクラシック音楽に触れる機会の多い環境があると、例えば次のような作曲家に出会う可能性が高くなります。
ブラームス、シューマン、グリーグ、ブルックナー、ワーグナー、ラヴェル、ラフマニノフ、シベリウス、マーラーなどなど。
あまりクラシック音楽に興味がなくても、もしかして名前だけは知っている可能性が高く、またメディアでの楽曲使用が比較的多いグループです。「作曲家は知らなくても、どこかで聴いたことのある楽曲があるかも」ということになります。
これらの作曲家を二軍とすると、私はここの二軍の出口にショスタコーヴィッチがいるのではないかと考えています。
なぜショスタコーヴィッチの名前で検索するのか?
作曲家の人となりを知りたい。知っている曲以外の作品を聴いてみたい。
その楽曲が演奏されているCDやコンサートなどを知りたい。
インターネット上で作曲家名を調べる時には、このような理由が考えられるでしょう。
いずれにせよすでにショスタコーヴィッチという名前を知ったからこそ、検索をかけているわけです。
さらに、ショスタコーヴィッチの代表曲である交響曲第5番「革命」は、日本でもドラマのオープニングや、BGM、アニメや映画にも使われています。
プロアマを問わずオーケストラで演奏されることも多い作曲家です。
こうしたきっかけで、曲に興味を持ち、さらに他にどんな曲があるのかを調べたくなるという気持ちは容易に想像できます。
二軍作曲家の楽曲に接する機会があり、その流れの中でショスタコーヴィッチにたどり着いた時、ふと立ち止まるのではないでしょうか。
親しみやすさもあるのに、一方で「あれ?」と思わせる難解さ。そして時代背景。ショスタコーヴィッチの持つそのような「ひっかかり」こそ、検索への動機となると考えられます。
ショスタコーヴィッチは、その楽曲に触れる機会がありさえすれば、作曲家自身のことや、他の作品を「検索して調べたくなる」「もっと音楽をきいてみたくなる」と多くの人に思わせる作曲家だということです。
ショスタコーヴィッチを超えた先には
さて、ショスタコーヴィッチに魅せられたような人々は、きっと次々にクラシック音楽を聴き始め、二軍作曲家を楽しんでいくことでしょう。
または一軍に戻って、その価値を改めて確認したり、もっともっとその奥深さを味わうことでしょう。
ここで挙げた以外にもまだまだ多くの作曲家がいて、またそれぞれが数多くの優れた楽曲を残しています。同じ楽曲でも演奏者が違えば、表現の違いも楽しめます。
そうして、この一軍二軍を楽しめるようになると、音楽史的なことに興味もわいてくるのではないでしょうか。どんな作曲家がいて、どんな曲を作ってきたのかを知りたくなってくることでしょう。
バルトークやシェーンベルグ、ベルグに魅せられる人、パレストリーナやラッソを聞くようになる人、コダーイ、ヒンデミット、メシアン、ミヨー。
およそクラシック音楽ファンでなければ、まず無意識では出会うチャンスも少ない作曲家もまた、ショスタコーヴィッチがきっかけとなって、連れてきてくれるのかもしれません。
グーグル検索ワードから見えるクラシック音楽作曲家の新しい側面。
こんな視点からも、ショスタコーヴィッチが音楽史上最も重要な一人として、輝いているように思えてなりません。
私もそんなショスタコーヴィッチに魅せられた一人。
暑い夏の今日、三軍作曲家カテゴリーにいるであろうジョン・ケージの『4分33秒』を、一人静かに聴くことにしましょう。