ここ数日Twitterでよく見かける話題です。起点は千葉市長熊谷さんの下記のツイートでしょうか。
千葉市は男性保育士活躍推進プランを策定しました。
女性活躍を推進する一方、本来のダイバーシティ(多様性)を考えると男性が少ない保育現場などでは男性活躍を推進する必要があります。更衣室が無い、女児の保護者の「うちの子を着替えさせないで」要望が通ってきた等の課題が背景にあります— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2017年1月19日
賞賛が集まる一方、女児を持つ親御さんが配慮を求めるのは当然ではという意見も。
保育士をしていたころにこの議論を見たら、悲しい気持ちになっただろうなと。でも、あれから十年以上経った今思うのは、見えない人の気持ちをどこまで想像できるか。
僕は女児をそんな目で見ない。周りにはもちろん同業にそんな人がいるとも思えない。そう考えるのは簡単です。
でも、そうして思考を止めてしまうと、異を唱える人の言葉があたかも自身の属性に向けられたように感じます。ただ、同姓介助を望むというだけの話でも。
@Toshio_Sasaki なるほど、では乳幼児間の性的悪戯等も完全排除しなければいけませんね。こちらの方が確率は遥かに高いので。男児クラスと女児クラスに分け、トイレも完全分離しましょう。保育士不足・保育所不足に拍車をかけ、待機児童が大変増えますが、仕方がないですよね。
— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2017年1月24日
保育・看護・介護が別物と言っているわけではありません。それぞれ専門職として誇りをもって業務にあたっている方々です。生理的嫌悪を尊重し、同性対応を徹底する場合、それはコストとして社会に跳ね返りますが、それも一つの判断です。私は強く求める方が追加的コストを払うことが最善と思います
— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2017年1月24日
興味を持ってツイートを追っていたので、これらのフレーズは残念に感じました。男児女児・父親母親誰もが健やかに保育の恩恵に預かる社会的コストは皆で持つものです。ただ、結論は市長の最後のツイートと同じです。
②男性保育士が増え、男性保育士と実際に接する保護者と保育された方が増えれば自然と解消していくでしょう。それまでは行政・保育所長などが保育士の職務への理解促進と信頼関係構築、不祥事防止に向けたシステム構築に努め、保護者の不安払しょくと志ある保育士を守る取り組みを進めていきます。
— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2017年1月25日
男性保育士が当たり前の社会になって、同姓介助もごく自然なこと。理想論かもしれないけどそうした社会を目指したい。
自分の目に映らないものに対して「なぜ、彼・彼女らは声を上げているのだろうか」と考える余地を持ちたい。
私には見えない。だから知らない。そういうスタンスはきっと、ことのほか誰かを傷つけるものだから。