新緑が目に眩しい季節になってきました。
こんにちは、花枝です。
さて、全8回にわたりアメリカのディズニーワールドで就労できる「CRプログラム」を紹介してきましたが、今回がいよいよ最終回となりました。
今回は最終回ということで、一年間のディズニーワールド勤務で得られたもの、そして帰国後の活動を紹介していきます。
想像もできない未来が待っていた
2015年3月3日。
オーランド国際空港に降り立ち、怒涛の研修期間を経て、寿司シェフの配属に決まったことをまるで昨日のことのように思い出します。
思えば、私が初めてアメリカのディズニーワールドに足を運んだのは10歳の時でした。
初めての国際線、たどり着いたのは夢のような魔法の国でした。こんなに楽しくて素晴らしいところがあるのかと、感動したことを覚えています。
あれから約20年が過ぎ、私はその憧れの場所で働く権利を手に入れました。
20代最後の一年をディズニーワールドで働きながら過ごすということは、当時10歳だった私には全く想像もできない未来でした。
人との出会いで新しい自分に出会えた
瞬く間に過ぎ去った一年間は、どこを振り返っても人との出会いに恵まれた日々だったと思います。
仕事の上司、先輩、後輩、同期にルームメイト…。仕事以外の場で出会った出会いも私に大きな影響を与えてくれました。
新しい人との出会いは、新しい価値観との出会いでもありました。
「このような考え方もあるのか…!」
「こう考えるといいんだなー!」
新しい価値観と出会うたび、「こうであらねばならぬ!」という考えで固められた私の殻が、少しづつ割れていくようにも感じました。
帰国後もっと三味線と向き合えるようになった
帰国後の仕事はこのコラムでも紹介している通りですが、様々な場所で演奏の機会を頂いています。
大型クルーズ寄港の歓迎演奏、高知県のイベント、そしてドイツでも演奏の機会がいただけました。
これらはもちろん私の力で成し遂げたものではなく、人との紹介や、おおよそ運の良さも手伝ってのことです。ですが、渡米前の私では想像もできなかった場所で演奏することもあり、人生の面白さを感じています。
演奏だけではなく、このようにninoyaブログで三味線のことや仕事のことについても書かせていただく機会がいただけたことも大きな変化でした。
アメリカので一年が想像もできない未来だったとしたら、アメリカから帰国してからの一年は未知数の未来のように感じています。
そしてその未知数の未来は、これから先も大きく広がっていくのではないかと思っています。
自分が今この道を歩めているの幸せなこと
三味線の道を歩み、嫌になって逃げたこともあり、そしてまた海外に行き、ディズニーワールドで働き、私はまた三味線の道に帰ってきました。
アメリカで過ごした一年は、私に
- 挑戦する勇気
- 自分が主体で生きられる強さ
を与えてくれました。
目に見えた資格やスキルではありませんが、これこそが真にこの世界を生きぬく力だと思います。
そしてその力があるからこそ、これから先の想像もできない未来を作り上げていくことができるのです。
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米国三越CRプログラムについて、ブログに書いています。
「海外ディズニーで働きたい!」
「日本文化を海外で紹介したい!」
と思われた方へ!
こちらのブログをお読みいただけますと幸いです。