「文章を書いて対価をもらうこと」。ウェブがない時代には雑誌や新聞などの限られたメディアでしか文章を書いて対価を得ることはできませんでした。しかし、インターネットの登場はそうした既存の表現媒体以外の表現の場を用意することになったのです。そしてそうした場はブログやツイッター・フェイスブックなどのSNSの登場によってさらなる展開を見せました。その結果、多くの表現者をインターネットの世界に呼び込み、その結果、表現者の数は一気に増加することになりました。梅田望夫さんの著書『ウェブ進化論』で言えば「総表現社会」の登場ということでしょう。
梅田さんは検索エンジンの圧倒的進化によって、「書いてもどうせ誰の目にも触れないだろう」から「書けばきっと誰かにメッセージが届くはず」に潜在的書き手の意識が変化することで、ブログが増殖したと言います。しかし、注目すべきはそんな梅田さんであっても表現者として「飯が食える」雰囲気があまりないとしているところです。
読者獲得によって多くの対価が得られる
インターネットの進化とともにSNSも急速に広まり、書かれた記事は多くの人に読まれる可能性が高まりました。その結果、ツイッターではRT数に一喜一憂し、過激な写真や意見を投稿し、炎上を狙う人や、ブログではPV数を獲得すべく、過激なタイトルや内容をつけ、時には釣りだと言われながらもPV数を高めることを目指す人も多く出てきました。こうしたやり方で多くの人に自身の意見を見てもらう、読んでもらうことは可能になりましたが、そうして拡散されたものは多くの人のもとに届けられるのは確かですが、それはすぐに消費され、後には何も残りません。またそうした記事は誰が書いたのかということに興味が持たれることもありません。結果、心に残るような記事にはならず、高い対価を生みだすものにはならないのです。
一方で、ブログの読者は違います。私も利用しているがRSSリーダーでブログを読む人は好きな書き手を選別し、その書き手が書いた記事を読みます。そしてその書き手の書いた内容を参考にしていくのです。こうした読者がいることで、安定して文章を書いて対価を得ることに可能になっていくわけです。それは何もブログ上での収益だけではなく、それ以外の部分へと波及して、収益を生んでくれる場合もあるのです。
私自身もブログを運営していますが、これが名刺代わりとなり多くの人と出会うことが可能になりました。ウェブだけで生活することはできないものの、ウェブで文章を書く仕事をさせてもらえることにはなり、仕事の幅は広がっています。そうした積み重ねが重要なのはウェブ以外の世界と何ら変わりません。ただ勘違いしてはならないのは、ウェブは多くの人に表現する機会を与えてくれますが、それによって自身の表現する能力そのものが上がるわけではないということです。
ウェブで対価を得るのではなくウェブでも対価を得られる人になる
中川淳一郎さんの著書『ネットのバカ』によれば、ネットに関する基本姿勢は以下の4点だとしています。私もこの主張に全面的に賛成です。
【ネットに関する基本姿勢】
- 人間はどんなツールを使おうが、基本的能力がそれによって上がることはない
- ツールありきではなく、何を言いたいか、何を成し遂げたいかによって人は行動すべき。ネットがそれを達成するために役立つのであれば、積極的に活用する。
- ネットがあろうがなかろうが有能な人は有能なまま、無能な人はネットがあっても無能なまま
- 1人の人間の人生が好転するのは人との出会いによる
「ウェブで文章を書いて対価をもらう」ためにはネットがなくても文章で対価を得られるようにならなければなりません。つまりどこで書いても文章が評価されるようになることこそが、「ウェブで文章を書いて対価をもらう」ことになり、それが他の仕事にも繋がり、継続して収入を得ていくことになるのです。
私自身がウェブで文章を書いて対価を得られているのは、自身のブログや他の媒体で文章を書き続け、結果としてそれが多くの人の目に留まり認めてもらえたからです。表現することにたいして価値が産まれる時代はウェブの発展の結果であり、今まででは考えられなかったものでしょう。そうした中で、ウェブで文章を書いて対価を得て、さらにそれを発展させていくためには、自分自身の人生とそこで学びえたものを書き続ける心の強さが必要なのかもしれません。