酒と泪と女と女

母親の呪縛~自己肯定できない女達

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「体を大事にする」とはどういうことか~子どもの性を語るとき忘れられがちなこと – スズコ、考える。はてなブックマーク - 「体を大事にする」とはどういうことか~子どもの性を語るとき忘れられがちなこと - スズコ、考える。

自己肯定感が低い子の中には、相手に性的に求められることを自分が愛されていると錯覚して肉体関係に依存し、相手の要求を受け入れないと捨てられる=愛されない、受け入れる=愛されている(認められている)という感情の中でどんどん相手の要求を受け入れ続ける関係になってしまい、結果として自分の体を大事に出来なくなる、というケースが少なくありません。

 

「自分の身体を大切にしなさい。とぼんやり教えても、自己肯定できていない子供には通用しない。」という部分に衝撃を受けました。

 

確かに、自己肯定感の低さが様々な影響を及ぼすことについては大人でも同じです。

 

私も、このブログで恋愛におけるコミュニケーション方法を度々書かせていただいておりますが、

「自分は人から愛されるに値する存在である」

と、思えない女性達に対して、ひどく不親切な、根本的な解決にはならないことを書き殴っていたものだと反省しました。

 

仕事、恋愛、結婚、親子、友人関係。

 

現代女性の悩みの多くが対人関係であり、どれもがコミュニケーション方法や心の持ちようで大きく改善できると私は思っています。

 

しかし、自己肯定感が低いと、いざというときに自分に自信が持てなかったり、人と的確な距離感を保てなかったり対等な関係を気づけなかったりして、「理屈ではわかっているのだけど」なぜかどうしても上手くいかない。

 

また、相手と関わろうと努力すればするほど、本人に相当なストレスがかかります。

 

私はOL時代から20年以上人材業界におりますが、何故こんなにも「自己肯定感の低い」女性が多いのか、ずっと不思議に思っておりました。

 

彼女達は能力が高く真面目で努力家なのに、何故か昇進のチャンスを避け、

容姿に恵まれとても魅力的だったりするのに、恋愛や結婚に対して二の足を踏みます。

 

また、社会的に成功していたり、結婚出産を経験している女性達でも、

「実は自分を肯定できていない。」

という女性達は多く存在しています。

 

克服するために頑張った結果色々獲得したけれど、本当は自分を肯定できていないのだと彼女達もまた、切々と訴えます。

 

そもそも日本人は諸外国に比べてトップクラスに「自己肯定感は低い」そうです。成功体験より失敗体験に目を向ける国民性や、謙虚さを美徳とし、自己を卑下するコミュニケーション習慣にもその一端があるのでは、と推測されています。

 

しかし、一番の理由は圧倒的に親子関係。それも、

彼女たちは口を揃えて「母親との確執」をその原因として挙げています。

 

「母親は、兄弟の中で私にだけ厳しく、褒めてもらった記憶がない。」

「過干渉で、私自身を信じてもらったこと、認めてもらったことがない。」

「母親から愛されていると感じたことが無い。」

 

私自身も以前このブログで書いたように、小学校低学年の頃から、母親のアイデンティティの迷走(新興宗教めぐり)に長い事つき合わされ、母娘の冷戦期を経て大人になって和解しています。

 

必要以上に「私がしっかりしなくては。しっかりすべき。」と自分に課す癖や、甘え下手な性格は少女時代に育まれ、今では既に私のパーソナリティの大部分(!)として君臨しているので、彼女たちの気持ちは多少なりとも解るつもりです。

 

虐待をされた訳でも、育児放棄をされた訳でもないけれど、母に認められ、心から愛されたという記憶も儚い。

 

お母さんの愛情を過多に受け、お母さん大好きなマザコン男性がはびこる日本で、何故、母と娘は相容れなかったのでしょうか?

 

以前に見た大学生のデータで、自己肯定感が高い学生は「子供の頃、親から怒られた内容に納得感があった。」という結果があり、男女で親からの怒られポイントの内容や種類の量が違いました。(当然男子の方が自己肯定感が高かった。)

 

思うに母と娘の軋轢は、息子に比べて娘に対しての方が母の「願いや要求」が厳しく、ジャンルも多岐に渡ってしまったから、なのではないでしょうか?

 

私の母世代(戦中派)の娘は、「気立てが良く、家の手伝いをして、裁縫などができれば良い。」とされ、「良い妻、良きお母さんになれそう」な分野を頑張れば親が褒めてくれたと聞きます。

 

しかし、高度経済成長以降の娘達はそうはいかなかった。

 

特に、男女雇用機会均等法施行後の親達は、娘にもたくさんの可能性を与えてあげたいと思うばかり、従来の女性らしさを育む評価ポイント「気立て、優しさ、お手伝い、生活習慣」の他、「勉強の成績」そして、何かしらの才能を伸ばしてあげたいという思いから、習い事を複数させる始まりの世代でしたので、「音楽、習字、語学、スポーツ」と手を広げてゆき、結果娘が達成しなければならない評価が多岐に渡っていったのではないかと。

 

「あなたは気立てが良いけれど、これからはそれだけじゃだめなのよ。勉強を頑張りなさい。」

と、言った同じ母親が、

「成績が上がったけど、折角ピアノを習っているのだから練習して才能を開花させなさい。」と言い、

「そんなスポーツばかりやっていたら、将来結婚できないわよ、女は優しくて女らしいのが一番なの。」

と、言う。

 

更には、女性らしく生きてきて、結婚し、子供を産んだその母親が、娘の前では人生を嘆く。

 

「私の人生はこれでよかったのかしら・・・。」

 

いったい私をどんな女にしたいのだと、突っ込める子供はいません。

 

結果、何かを頑張っても手放しで喜ばれた経験が無く、「親に心から肯定されたことがない。」という思いを引きずったまま大人になる女子が大量生産されたのではないか?と思うのです。

 

一方男子も同じように習い事も塾も経験している人が多いと思いますが、「勉強」か「スポーツ」どちらか頑張っていれば、競争社会に適応できると判断され、良しとされてきた。

 

それはそれで別の意味でしんどいですが、評価の一貫性という点に置いて「頑張ったら評価された。」という成功体験、安心体験に繋がり、「自己肯定感」という分野においては、傷を受けづらかったのではないかと。

 

もう一つの大きな理由としては、当時より核家族化が進み、祖父母という子供にとってのクッション機能が取り外されてしまったことと、父親が猛烈に働いた時代なので、父親不在の子育てが当たり前であったことが挙げられます。

 

要は、子育てを現代以上に「母親一人が担当していた」ということです。

 

母親は、異性である息子に関しては、結局のところ良く解らないので、「父親に報告する際に解りやすい評価」をしていた。例えば「成績が上がった。」とか、「部活を頑張っている。」など。努力をすればするほど報われると信じられていた時代ですから尚更、逆にそれらを頑張っていなければお父さんに怒ってもらう、という感じで、その他生活習慣などは、

「男の子だからしょうがないわ。」とスルーできたのではないでしょうか?

 

しかし、同性である娘に関してはそうはいきません。

 

娘に対しては母の夢を投影しやすく、経験してきたこともダイレクトに伝えやすい。

 

自分がやってきたこと(女子力を高めて結婚すること)は当たり前に、自分ができなかったこと(自立や自己実現、才能を開花して社会で活躍すること)を母親自身が自分の中で整理がつかぬまま、「娘の幸せのため」無計画に要求してしまった。

 

おまけに、「女同士」という馴れ合いから、息子には言わない女(大人)の愚痴も、娘には吐きやすかったのではないか?

 

結果娘は、母親が「本当は自分に何を求めているのか」が解らないまま、

ある娘は要求通り「片っ端から言われた事を頑張る娘」になり、

ある娘は「お母さんの生き方や要求を否定して生きる娘」に成長したのではないか?と思うのです。

 

そして、この2つのタイプの娘達が、母から無条件に愛されなかったという思いを抱え、自己肯定感が低いまま、大人として生きている・・・。

 

長々と高度経済成長期の母親の気持ちになって妄想してしまいましたが、

私には、母親から褒められたり、受け入れられたという経験が無く、対人関係でかなり苦労した友人がいます。

 

彼女が大人になって、仕事や恋愛で成功体験を積んで克服しかけた頃、

ある日、勇気を出して母親に言ってみたそうです。

 

「お母さんは、私が子供の頃、一度も褒めてくれなかったよね?」

 

すると、

「何を言っているの?しょっちゅう褒めていたわよ。」

と返されたそうで、愕然としたと言っていました。

 

ずっと苦しんでいたのに、どうしてこんなすれ違い、もしくは記憶違いが起きるのか、不思議でたまらないと。

 

今となっては何が正しく、何が本当か解りません。

 

ただ、「母親に承認されなかった。」と悩み、自己を肯定できなかった娘と、

「褒めて育てた、自分なりに娘を愛した」という母親が悲しくそこにいるだけです。

 

親子愛のすれ違い、子が親の愛を乞う切実さを思うとき、いつも思い出す詩があります。

「蝶」 西条八十

やがて地獄へ下るとき、

そこに待つ父母や

友人に私は何を持つて行かう。

たぶん私は懐から

青白め(あおざめ)、破れた

蝶の死骸をとり出すだらう。

そうして渡しながら言ふだらう。

一生を

子供のやうに、

さみしく

これを追つてゐました、と。

 

私には娘が二人いて、この詩を思い出すたびに、彼女達の一生をそんな風に終えてほしくないと、その為に私の愛し方は間違えていないだろうかと毎回思います。

 

そして、どの母親も自分の娘達に対して、

「自分を肯定し、人生に感動し、人を愛する事のできる女性になってほしい」

と、根底では皆、そう願っていたであろうと、容易に想像することができます。

 

受けた寂しさの、程度の差は相当あるけれど、

それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか?

 

母親から完全に離れて、一人の女性として見てあげませんか?

 

母親たちもまた、そのまた母親達と全く違う時代に生き、

私達と同じようにモデルケース不在の中、

手探りで、戸惑いなら、幸せを模索してきた女のひとり。

 

私達と同じ、「幸せ探し」に迷走した女のひとりです。

 

私たちはもう大人で、愛し愛される対象を自分で探すことができる。

 

勇気をもって母親の面影を優しく手放してあげましょうよ。

 

それが

「自己肯定」へのはじめの一歩であり、

「自分自身の人生」を生きることだと私は思います。

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川崎貴子

リントス株式会社代表。経営者歴21年。女性の裏と表を知り尽くし、フォローしてきた女性は1万人以上。「女のプロ」の異名を取る。プライベートではベンチャー経営者と結婚するも離婚。8歳年下のダンサーと2008年に再婚。12歳と5歳の娘を持つワーキングマザーでもある。著書に『私たちが仕事をやめてはいけない57の理由』(大和書房)、『愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。』(ベストセラーズ)、『結婚したい女子のための ハンティング・レッスン』(総合法令出版)、二村ヒトシとの共著に『モテと非モテの境界線 AV監督と女社長の恋愛相談』(講談社)等がある。

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