高知の「よさこい祭り」で、三味線を弾く日も近づいてきております。祭りに向け気持ちがワクワクしております、鬼龍院花枝です。
お祭りでも大活躍の三味線ですが、そもそも三味線ってどんな楽器なのでしょうか?今回は私の海外生活とともにあった三味線のエピソードから、三味線がどのような楽器なのか紹介していきます。
実はとってもコンパクトになるのよ私
アメリカ・フロリダ州にあるディズニーワールドで働いていた頃の話です。
私の三味線は、45×32サイズのカバンに三つに分解して手持ち荷物として飛行機に乗せました。三味線一挺カバンに忍ばせ…って忍ばせられるほどのサイズでもないのですが。
そして三味線は一挺(いっちょう)、もしくは一棹(ひとさお)と数えます。
さて、三つに分解と書きましたが、三味線が分解できる楽器なのだということをご存知の方はなかなかいらっしゃいません。三味線はもともと移動に有利な楽器、一緒に旅が出来るように分解できるように作られているのです。
ポピュラーな分解方法は三つに分解できるタイプですが、二つや五つなどもあったそうです。映画「座頭市」では、三味線の中に仕込み刀を入れているシーンもあります。
湿度と気温の変化に弱くてデリケートで重いのよ私
アメリカでの勤務中、ニニューオーリンズからラズベガスまで、グレイハウンドという長距離移動バスに乗ってバスの旅と洒落込みました。ただし、時間に直して40時間。空席はほぼなく、途中テキサスやニューメキシコでバスを乗り換えます。体力と同時に気力との勝負。これは旅ではなく、一種の修行なのかな?とも思いました。
その際もちろん三味線も一緒です。三味線は湿気や温度の変化に弱い楽器。木と動物の皮で出来ているので、湿度や温度の変化で皮が破れてしまうのです。
衝撃に耐えられるカバンに入れているとはいえ、バスのトランクルームに三味線カバンを入れる勇気は私にはありませんでした。
客席では足元に三味線カバンを置き、乗り換えの度には三味線カバンとともに下車する…。
その時私は、自分のアイデンティティでもある三味線に対し、こう思いました。
「あれ?私のアイデンティティ(三味線)、扱いが面倒臭くて重い(いろんな意味で)よね…?」と…。
歴史と土地ともにカタチを変えてきたのよ私
さて、アメリカで勤務していた頃、沖縄出身の先輩が働いていました。
先輩は三線の演奏もお手の物。美声とともに奏でられる三味線は、フロリダの抜けるような青い空にとてもよく似合っていました。先輩はよく三線を持ち歩いており、ミニコンサートで三線を演奏されていました。カバンから出すとチョチョイと音を合わせて演奏準備が整います。
その姿を見て羨ましいと思った私。何といっても楽器の重さや長さから全然違います。
元々三味線のルーツは明の時代に作られた「三弦」という楽器が、当時の琉球王朝に渡ったことが始まりです。「三弦」が琉球で改良されたものが「三線」となり、さらにそれが貿易によって大阪から全国に広がります。その過程で出来上がったのが、今皆さんがよく目にする三味線なのです。
皮も三線は蛇の皮を使いますが、当時の日本には大きい蛇がいないという理由で、犬や猫の腹部の皮が貼られるようになりました。そして音階を広く使うため、棹の長さも改良されていったのです。
先輩が片手でヒョイと三線を運び、場所を選ばず気軽に演奏できる姿を見ていると…なるほど、沖縄県民の生活に三線が根付いている様子がよく伺えるのです。
これからカタチを変えていくかもしれないのよ私
三味線は日本の気候に合わせて形を変えてきました。
私は今様々な場所で三味線を演奏する機会を頂いております。特に屋外や海外での演奏の時に思うことは、「三味線の今の形は、もしかすると仮の形なのかもしれない。」ということです。
これから先、湿度や温度の変化に強い三味線が出来るかもしれない。持ち運びしやすいように、音色はそのままで軽量化されたものが出来るのかもしれない。
三味線という楽器そのものの未来を想像すると、まだまだ三味線には伸び代があると思うのです。