地方でフリーランスとして生きること

「フリーランス、40歳の壁」より大きかった収入の壁

鹿児島でフリーランスとして約15年仕事をしている奥地です。

開業届を出して、フリーランスになった当初は20代だった私も、今は41歳。
巷で言われている「フリーランス、40歳の壁」に突入しています。

そこで41歳の今、思う「フリーランスとしての壁」について綴ります。
 

フリーランス、40歳の壁

フリーランスの場合、40歳という年齢がひとつの壁になるという話を聞きます。

私の周りは、子育てを理由にフリーランスになった人が多かったこともあり、子どもが独立、子育てが一段落するタイミングで会社員に戻る方が少なくありません。気付けば、一人、また一人と、フリーランスの知り合いが別の道へ進み、同世代の知人はかなり減りました。

ただ自分の場合は、今のところ「40歳の壁」は感じていません。
あげるとすれば、30代後半から、体力とか気合で乗り切ろうとすると、その後の疲れがとれにくいなどの反動が大きくなったことぐらい。

むしろ私の場合は、40歳を超えて、フリーランスとして生きやすくなりました。

人とのつながりから、新しいクライアントも増えていますし、新しい挑戦をする機会も得られています。断わるのが苦手な私でも、自分が疲弊するような仕事は避けられるようになり、逆にやりたいと思ったことにはチャレンジしやすくなっています。

年々、「すごいなと思う方」とのお付き合いが増えていて、そうしたときに、若い頃は自分を大きく見せようと、ものすごく肩ひじを張っていたのが、今は背伸びをして少しでも近づかなくちゃという気持ちよりも、相手の役に立てるのは何かなと考えるようになり、自分自身がすごく楽になりました。

今振り返ると、30代までに目の前にある仕事を大事にすることでクライアントと信頼関係を築けたことが財産になっています。また、どんなときに自分は幸せを感じ、辛い、逃げたい、辞めたいと思うのかを客観的に見るようにしていたのも良かったのだと思います。

大きかった壁は「売上20万円の壁」

40歳の壁は感じていない私ですが、「月間売上20万円の壁」は大きかったです。

最初に目指した売上は、保育料。
子どもを保育園に預け始めた当初の売上は、保育料に満たない額で、まずはこの金額を目指しました。ここは、それほど苦労せずにクリアー。

その後は、月に10万円程の売上が続き、たまに20万円に届くか届かないかというぐらいに。

ただ20万円を超えると、生活と仕事のバランスが崩れ、すごくきつく感じ、長くこの20万円の壁に苦しみました。3カ月間、月20万円を超えられれば、体が慣れるかもと思って頑張ったこともありましたが、慣れることはなかったです。

結局、仕事の時間を増やすことで売上を伸ばすという視点を変えなくてはいけないと気付き、月20万円の壁を超えることができました。

不思議なもので、その後は今のところ売上の面では大きな壁にはぶつかっていません。

ただ年々体力の低下は感じるので、その点を考慮して今後を考えていくべく試行錯誤は続けています。そして仕事がある程度安定している今だからこそ、仕事をもっと楽しめるように新たな種まきもしていかないといけないと切に感じています。

アバター画像

奥地 美涼

都会で働くキャリアウーマンを夢見て東京の大学院に行ったものの、企業に就職することなく、2005年から故郷である鹿児島でフリーランスという形で仕事をしています。地方に住みながらも約7割のお客様は関東の会社です。ライター業からスタートして、今はWeb関連の業務を主に担当しています。仕事に関するご相談は、HPの「実績&お問い合わせ」、あるいはTwitterのDMよりご連絡をください。

記事一覧はこちら

  • HP

ninoya inc.のお知らせ

この記事はいかがでしたか?

いいね!と思ったらボタンを何度でもタップ!いいね数はライターに届きます。

3LIKES

LIKE

ライターへ感想を送るライターへ感想を送る

Share

Follow on SNS

SNSとメルマガでninoyaの最新情報を配信中

メルマガ登録

メルマガ登録

週1回&酒と泪と女と女更新時にメルマガをお届けしています。

pagetop