三味線ガールは海を渡る

高校生に三味線を教えて、改めて確認できた価値

先日国際交流事業の一環で、ASEAN各国の青年の前で三味線を弾くお仕事を頂きました。鬼龍院花枝です。

さて、以前書きました記事「三味線のある生活、それは私の生活をどう変えてくれますか?」で少しお話ししました、高校生と三味線の話をもう少し深く掘り下げてご紹介します。

 

 

思いがけず舞い込んだ、高校生に教える機会

高校生に三味線を教えるようになったのは、今から7年ほど前の話になります。三味線教室を始めて2年目に突入した私は、自身より年上の生徒さんではなく年下、それも10代の若者には三味線はどう映っているのだろう?と考えることが多くなりました。

その時、母校の商業高校の先生より「伝統文化体験授業の一環として、三味線の指導をして欲しい。」と依頼されました。素晴らしいタイミングでした。私の母校は年に一度、伝統文化体験授業として花道や三味線を学ぶ日があったのです。

その当時指導されていた先生は地元でも有名な三味線のお師匠様でしたが、「この学校にゆかりのある方が教えるのが一番良いでしょう。」と私に講師の座をお譲り下さいました。

その伝統文化体験授業がきっかけとなり、母校に三味線同好会(後の三味線部)が発足することとなり、今日まで活動が続いています。

 

三味線がただただ上手になるだけの部活ではない

三味線部に入部する生徒は非常に少ないのですが、私は入部した生徒に必ず伝える言葉があります。

「私は三味線が上手になって欲しくて、あなたに教えているわけではありません。」

これを話すと、生徒たちはキョトンとします。確かに必要最低限の基礎はしっかり教えますが、ある程度の曲が弾けるようになると、学校以外の場所で演奏するように指導します。例えば身近なところで地元のデイケアセンターへ、また地元のイベントなどです。

この時、演奏する時の段取り、演目、司会原稿、役割分担は全て生徒が決めます。最初はなかなか決まりませんし、生徒同士で揉め事もおこります。ですが、なるべく生徒たちだけの力で考えるよう、見守ります。それが出来上がると、演奏先の施設に電話をするよう促します。これは「誰かが決めた演奏会を淡々とこなすことではなく、自分自身が主体となって演奏をしに行く自覚」を持ってほしいからです。

 

養いたいのは「自分は誰かの役に立てる」という達成感

私が高校生に教えたいことは一つだけです。それは三味線そのものの価値でも、三味線の技術でもありません。もちろんそれも大切なことですが、三味線を”手段”に社会と関わり、人の役に立てたり誰かを喜ばせることが出来るという充実感や達成感を教えたいとずっと考えていました。

それはただ単に三味線の技術が向上するだけでは養えません。また、人前の演奏も指導者である私をずっと頼りにされては、自力でやり遂げる達成感に欠けると考え、初回以外は私は手伝いません。

最初は司会の原稿を読む声も小さく、曲の紹介文を書いても日本語がメチャクチャな高校生も、何度か回数をこなすと立派に司会もでき、曲の紹介ができ、加えて落ち着いた演奏もできます。どうすれば人に喜んでもらえるか?これを自主的に考えるようにもなります。

学校という限定された空間を飛び出し、三味線という”手段”を使い社会の人々と関わる経験を積んでいます。

 

楽器としての三味線の価値を上げるのは”人”

三味線という一つの楽器を通じ、得られる”モノ”があります。それは目に見えてわかるものではないかもしれません。高校生たちも三味線の腕前で見れば、まだまだ課題は残りますが、技術面の上達だけが三味線の道ではないと私は考えます。

三味線を練習し、その成果を披露することで、学べることもあります。何を学ぶかも大切ですが、その学びから何を得るのか?これから先も私は考え続けていくのだと思います。

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鬼龍院 花枝

三味線指導、演奏家。気づけば20代の9割を三味線の指導と演奏に費やし、「三味線を教えている」と自己紹介すれば二度見されることにも慣れてきました。堅苦しさ皆無で三味線の魅力を知ってもらえればと思い、執筆活動もしています。

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