インターネットを巡る旅

任天堂元社長・岩田聡さんの足跡を対談記事で振り返るまとめ

 

2015年末に公開されました、4Gamer.netの記事。任天堂の社長として数々のゲームや企画に携わってきた岩田聡さんの追悼企画として、生前に親交の深かった選りすぐりのメンバーを集めたインタビューとなっております。

 

僕自身、子供の頃は任天堂のゲームに親しみ、それによって友達との関係を築いていたと言っても過言ではないので、読んでいて強く感じさせられる内容でした。ゲーム制作・会社経営に留まらず数々の逸話を残している岩田さんのお話は、いつ読んでも刺激的で心が沸き立つものです。

 

今回は、そんな岩田さんの足跡を少しでも振り返るべく、ご本人が登場している記事をピックアップしてご紹介します。

 

 

樹の上の秘密基地「ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ」の情報・産地直送!

任天堂以前、HAL研究所時代の記事ですね。『大乱闘スマッシュブラザーズ』発売当時の1999年、カービィの生みの親としても有名な、桜井政博さんと岩田さんの2人で答えたインタビューとなっています。

 

HAL研の歴史に始まり、『スマブラ』が誕生するまでの経緯、いかにしてマリオをはじめとする任天堂キャラクターを“貸してもらった”かといった部分まで。モノづくりに対する気概の一端を見て取れる内容です。

 

社長に学べ!<おとなの勉強は、終わらない。>

先の記事と同じく、ほぼ日刊イトイ新聞より。こちらは2005年、文字どおり「社長に学ぶ」ことをテーマとした企画。この頃には任天堂の社長となっていた岩田さんに対して、糸井重里さんがインタビューした内容となっております。

 

経営者としての話をしながらも、相手の立場を念頭に置いたコミュニケーションの方法は、日常の場面でも学び取れる点がありそう。間違いなく、必読記事のひとつです。

 

マンマシンインターフェイスを直感的にすることがカギ

2006年のインタビュー。ちょうど据え置きハードの「Wii」が発売された直後の公開となっており、ゲームソフトの高コスト化についても言及されています。

 

そこで改めて応用したのが、任天堂に根付くモノづくりの考え方「枯れた技術の水平思考」。わかりやすく、直感的な操作感を強く意識したゲーム開発に立ち返り、試行錯誤を重ねてきたことを話されています。

 

任天堂の岩田社長が遊びに来たので、みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。

「岩田さんがふらっと遊びに来るから、みんなでご飯を食べながら話を聞こう」という、「ほぼ日」らしく(?)ゆるい企画。2007年。

 

写真を見てもすごく楽しそうな雰囲気が伝わってきますが、内容を読んでみると示唆に富んだ話が盛りだくさん。過去の糸井さんとの対談をベースにしつつ、広く物事の「考え方」を示してくれるようなコンテンツとなっています。

 

DSで生活が便利になる――任天堂・岩田聡社長と宮本茂専務、ゲーム機の現在と未来を語る

2009年、日本外国特派員協会での会見の記録。マリオの生みの親としてもおなじみ、宮本茂さんと2人での登壇です。ゲーム業界の現状と展望、「つまらないことを楽しく人に続けてもらう」という考え方に加えて、会場からの質問にも幅広く答えています。

 

スマートフォンがまだ広く普及する前のタイミングの記事かと思われますが、「このまま同じような商品を作り続けていたら、いつか携帯電話のビデオゲームにDSは飲み込まれてしまうかも」とも話されているのが興味深いですね。

 

任天堂社長が説く、ヒットゲームの新法則

2013年、「ニンテンドー3DS」や「WiiU」の売上が振るっていなかった時期のインタビュー。貪欲に、それでも淡々と。上・中・下の3本構成となっています。

 

「成功のための法則はない」と説きつつも、やはりお客様に「共感」してもらい、受け入れられなければ負けである、と。スマートフォンのソーシャルゲームについても言及し、今後の展望についても語られています。

 

経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」

冒頭の記事につながる、ドワンゴの川上量生さんの対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」の最終回。“ラスボス”として岩田さんが登場しました。

 

企画名にもあるとおり、最終的には経営視点や社内コミュニケーションの話に行き着くのですが、内容としてはエンジニア論が多め。冒頭の記事でも皆さんが口にされていたように、周囲から見た岩田さんは「社長」でありながら、変わらず「エンジニア」であり続けたのかもしれませんね。

 

まとめ

以上、岩田聡さんご自身がお話されているインタビュー・対談に絞って、いくつかの記事をご紹介させていただきました。他にも岩田さんのお話はたくさんウェブ上に残されており、下記「ほぼ日刊イトイ新聞」のまとめページや、ニコニコ大百科の項目でも確認ができます。

 

 

大百科の項目にも書かれていますが、訃報の発表があった当初は、ネット上でもその早すぎる別れに哀悼の声が数多く聞かれると同時に、数々の素晴らしいゲームを世に送り出してきたことに対する感謝の声があふれかえっていたことを覚えています。

 

いち企業の社長として、エンジニアとして、コンテンツメーカーとして、一人の人間としても世界中のユーザーからも愛されていた岩田さんが遺したものを、自分もまた一人のファンとしてそれを忘れぬよう、たびたび読み返していこうと思います。

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けいろー

フリーライター。ネットカルチャーと共に育ってきたゆとり世代。執筆実績として『HATSUNE MIKU EXPO 2016 Japan Tour』公式パンフレット等。

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