ウェブ上には多種多様、数多のライターが活動しています。特に昨今、個人ブログでの活動を起点として、「ブロガー」という肩書を持ちながら他のウェブメディアで記事を書くようになる人も少なくありません。それどころか、その流れがひとつの「王道」として認知されつつあるような動きもあります。
しかし一方で、自分が好きなことを好きなように書いていた「ブログ」とは異なり、その大多数が明確なジャンルやコンセプトのもとで運営されている「メディア」で執筆をする場合には、ブログとはまた違った視点や能力が求められるもの。
たとえブログでの「個性」を買われて依頼されたとしても、その発揮の仕方や書き口は普段のものとは異なってきます。そこで大切になってくるのは、買われた自分なりの「個性」を示しつつも、そのメディアで求められるコンセプトと読者層を意識し、価値ある記事を世に送り出すことなのではないでしょうか。
細分化すれば一記事には収まらない話題ではありますが、ここでは自分なりに重要だと感じる「ブロガー」と「ライター」の視点の違いについて、ざっくりとまとめました。
読者層・ターゲットの意識
自分のブログに関して、「どういった人に読んでもらいたいか/読んでもらえているか」を意識して書いている人は、決して少なくないと思います。
僕自身、基本的には「好き勝手」に書くことを前面に出して更新を続けている身ではありますが、「多分、こういった人たちが読んでくれているんだろうな」ということを考えて、特定の読者さんへ向けた文章を書くことも珍しくはありません。
とある記事を書く「きっかけ」は自分の興味関心を前提とした「好き勝手」ではあるものの、その記事を書いている過程では、特定読者層に向けた「メッセージ」をそれとなーく織り込んでいるようなイメージです。
――実際、伝わっているかどうかはわかりませんが……送られてくる感想メールなどを読む限り、読まれているという実感はあります。たぶん。おそらく。きっと。
その点、何らかの目的を持って運営されているであろうウェブメディアで記事を書くときには、そういった「読者」が誰であるかという意識を明瞭にした上で執筆に取り組まなければなりません。そのメディアがターゲットとしている仮想読者と、実際に定期購読している実在読者、とでも言いましょうか。
ブログの場合は、「自分」という個人に興味を持って読んでくれている固定読者が少なからずいるため、好き勝手に書いてもある程度は読んでもらえるという環境が整っていました。
しかし、あるコンセプトを持って特定ジャンルの話題について更新を続けているメディアにおいては「自分」個人ではなく、その記事の「内容」に重点が置かれます。確かに「ライター」として求められる個性はあるでしょうが、それは記事の内容に魅力を添える付加価値としての意味合いが強く、記事の「質」を保証するものではありません。
重視される記事の「内容」って?
記事の「内容」と一口に言っても、その要素はさまざま。基本的にはクライアント側に指定された「情報」――特定の商材、イベント日程、専門的な知見など――を盛り込み、字数制限を守れば、あとはライター個人の裁量に任せられる場合が多いように思います。
ですが、そういった「情報」は最低限守るべきルールでしかなく、記事の価値を決定するものではありません。小論文で例えれば、「○○と△△というキーワードを使って論文を書きなさい」という指示に従っているだけに過ぎず、その問いの意図まで汲み取れているとは言えないのではないでしょうか。
出題者の意図はどのようなものか。キーワードに関する知識を論理的に述べればいいのか、それとも表面的な情報は最低限に、自分の意見を骨子として述懐すればいいのか。
――問題文で問われている出題者の意図を把握した上で、それに足る内容を論理的にまとめあげてこそ、小論文は評価されるものです。
これは「ライティング」に当てはめても同様です。クライアント側から提示された商材や話題について、どういった切り口で語ればいいのか。全面的に肯定的な立場を取るのか、否定的な視点も加えるのか。そして、文中に「自分」という「個性」はどの程度まで盛り込むべきなのか。
そうした「意図」を懇切丁寧に指定してくれるメディアもありますが、大量のライターを抱えて記事を更新しているようなところでは、各々が“読み取る”しかないような場合もあります。それを見誤ると、一から再執筆する必要も出てきますし、次からは仕事を頼まれないことにもなりかねません。
ゆえに「ブロガー」ではなく「ライター」として記事を書く場合には、そのメディアが意図するところである「コンセプト」をしっかりと把握し、それに沿った形で「情報」と「個性」を盛り込んで執筆する必要がある、と言えるのではないでしょうか。
(もちろん、圧倒的な「個性」を持つブロガーがライターとして重宝されるケースも少なくありませんし、その場合は自身の「個性」がメインコンテンツとなることでしょう。また、ライター側はメディアの「意図」を汲み取る能力が必要だと思う一方で、それを伝えるメディア側の媒介者である「編集者」とのコミュニケーションも重要になってくる印象があります)
短期的な「バズ」か、長期的な「検索訪問」か
こうしたメディア側の「意図」のひとつに、記事の公開と同時に複数のSNSでシェアされることで短期的にアクセスを集める「バズ」を狙うのか、検索からの流入も見込んで特定の「キーワード」を盛り込み長期的にアクセスを集めようとするのか、という視点があります。
ライターその人の「個性」がコンテンツとなるような記事の場合、メディア側が求めているのは「バズ」であるケースが多いように思います。前回の記事でも触れましたが、その人が書く面白いコンテンツに人が集まり拡散されることで、瞬間的な「話題性」のもとに広く認知されるような流れですね。
かと言って、バズれないライターに価値がないかと言えばそういうわけでもなく、長期的に細く長くアクセスを集める記事を書くことのできる能力も重要です。
おもしろおかしくはなくても、特定の情報をわかりやすくまとめあげて、いつ、どこの、誰が読んでも「なるほど!」と納得することのできる文章。商品紹介などの場合、ひとつの記事が長期的にアクセスを集めれば長期的な顧客獲得にもつながりうるため、そうした「意図」のとおりに執筆できるライターは重宝される印象があります。
そういった事情を鑑みると、例えば新興ウェブメディアの場合、まず第一にそのサイトが多くの人に知られて話題になることが重要視されるため、どちらかと言えば「バズ」れるライターが買われると考えられます。
そうしたメディアでは、たとえ後になって検索流入を稼ぐことになったとしても公開当時の評価は得られないため、ライター側は「メディアが何を求めているのか」を意識して依頼を受ける必要があるでしょう。バズか、キーワードか。個性か、普遍性か。などなど。
まとめ:「メディア」の目的を考える
一口に「メディア」と言っても、最近では多種多彩なウェブメディアが跋扈しています。その目的も自社商品の宣伝だったり、最新情報の共有だったり、ニッチな分野のコミュニティ作りだったりと、さまざま。
ただ、その大多数に共通していると考えられるのは、何らかの情報を読者へ向けて「伝えよう」としている点。純粋な情報サイトもあれば、広告収入を狙ったサイトや商材販売を目的にしたメディアもあるでしょうが、いずれにせよ、そこに掲載した「情報」に価値を置き、広く伝達しようとしている部分は同様であるように思います。
「ライターは情報の翻訳者」という話をたびたび耳にしますが、まったくそのとおり。
「ブログ」も一面的にはそうですが、「メディア」で記事を書く場合には、さらにこの「翻訳」の能力が必要となってきます。メディア側が提示した「情報」を、彼らが求めるような形で再構成し、わかりやすい形に「翻訳」して読者へと伝える仕事。「個性」はおまけです。
そういった「伝える」活動に価値を感じられる人こそが、ライターに向いていると言えるのではないでしょうか。